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有限会社 錦屋

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大島紬とは
イメージ  人を魅了して止まない大島紬は織りの着物の代表格です。
 軽くてしなやか、着用時に崩れにくいなどの機能性はもちろん、深い色合いと手の込んだ絣模様を施した着物はたいへん美しく、しかも親子三代で楽しめるほど丈夫で長持ちと言われています。
 本場は名瀬市を中心とする奄美産地と鹿児島市を中心とする鹿児島産地に大別されており、鹿児島が世界に誇る伝統的先染絹織物です。
 長年培ってきた絣加工技術と古代染色により複雑な工程を経て作り上げられていきますが、驚くことにそれらのほとんどが職人による手作業です。一反を織るまで30以上もの工程、半年以上かかります。図案の段階で仕上がりが計算され、まるで緻密な設計図のようです。糸の泥染め・絣糸の順番など携わる多くの職人が1ミリ間違えないよう、1本狂わないよう注意を払ってその設計図を忠実に守り、確実に作業を進めていくのです。
 流行がめまぐるしく変わる現代に、大島紬は日本の美を堂々と示しているようです。
失敗しない大島紬の選び方
イメージ 基本的に紬は普段着扱いなので公式な場には着ていけません。
 しかし高価な大島紬は親しい友人との会食、かしこまらないパーティーなどへの着用可能です。ぶれない人気があるのは、洋服で例えるのであればヴィンテージデニムのような存在だからでしょうか。多くの職人さんによって作られた大島紬は、手元に一枚は欲しい魅力あふれる着物です。
 産地ごとの規定を満たして検査に合格した本場大島紬の反物には、作られた産地の「登録商標」が貼られています。証紙とも呼ばれ、織り元の名前の記載と検査合格印が押されています。購入するときは確認しましょう。さらに、産地ごとの染めの基準と検査にクリアしたものには「染め証書」が貼られています。伝統工芸品として品質を保つ大切な役割をしています。
 手織り、機械織りで違いますが、値段は数万円から百万円以上の物まで。普段着としては高額ですが他にはない着心地を楽しめます。自分にあう一品を探すのも一興です。
大島紬の着用シーン
イメージ 軽くて丈夫、しなやかな肌触りの大島紬は、着物を着ない人でもその名を知る有名な紬です。
 美しく精密な絣模様、つるっとした独特の光沢のある大島紬は他の紬・着物にはないドレッシーな印象を与えてくれます。
 しかしもともと紬は普段着。どんなに高価な大島紬でもフォーマルの場に着ていくことはできません。それでも大島紬は人気が高く、装って街を歩けば一目おかれます。観劇やショッピング、友人同士の食事会や気軽なパーティーなど普段の生活に密着していれば、返って活躍する場は多いかもしれません。
 最近ではお茶会や入学・卒業式に着る人も増えているようです。着物が見直されている今、ますます注目されるはずです。
 また、旅行にもおすすめです。軽くてシワになりにくい大島紬は、アクティブな場面ならいっそう魅力を発揮するでしょう。
 例えば海外旅行。言葉以上に日本の美をアピールできる素晴らしい材料になるのではないでしょうか。
大島紬の種類
イメージ 本場の大島紬といえば先染めで手織りのことですが、最近では先染めの機械織り、機械織りで後染めといったものも出てきています。
 本場の手織りは30を超える工程を経て作られているので、過程で染め方や織り方の技法が違えば一つ一つ多様な変化が見られます。それが希少価値を高め、手作りの魅力を実感する要素でもあります。よって手織りのものはたいへん高価ですが、機械織りは比較的手頃な値段です。
 「泥染め」「藍染め」「泥藍染め」そして「白大島」など。それぞれ一見地味ながら奥深い魅力を秘めています。
 本場の産地は奄美大島と鹿児島本土の二つ。品質的には特に差はないようです。龍郷は本場大島紬の柄の名前です。奄美大島の龍郷村が由来です。
 マルキとは大島紬の模様の特徴である十時絣の大きさを表していて、数字が大きいほど絣が細かくなり手間も技術も要します。その美しさは息を飲むほど。高価であっても好みの一枚を手元に置きたくなる気持ちがわかります。
大島紬の歴史
イメージ 日本で最も長い歴史と伝統を持つ大島紬の起源は1800年以前にさかのぼります。
 奄美では昔から山野に自生するテーチ木などの草木で染色が行われていました。奄美が薩摩藩の支配下に置かれた1720年、島民に対して藩は「紬着用禁止令」を出します。このとき女性が水田の中に紬を隠すと美しい鳥の濡羽色に染まったという言い伝えがあるそうです。
 島民は薩摩藩より厳しい労働と上納を強いられました。紬も役人との交際用、物資の交換に使用されました。彼らは過酷な生活環境の中で家族のため、生活のために糸をつむいで染色をし、イザリ機で織るの繰り返しを伝承し続けたのです。
 明治に入り薩摩の支配が終わると大島紬は鹿児島や大阪の市場に出回りはじめ、好評を博すようになります。それに比例して技術の向上や機械の改良も進み大正時代には生産量も増加、黄金期に入ります。
 戦中戦後は廃れる傾向にありましたがその後関係者の努力により復興。ますます飛躍的な発展をとげ、今に至っています。
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